元祖カレー汁お食事処 新京本店

No.08

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カレー大好き呑兵衛の

「薄めてくれ!」から始まった

広島・流川定番チルアウトめし

突然だが、飲みのシメと言えば何? お茶漬け、うどん、そば、味噌汁。北海道ではパフェだとか、沖縄じゃステーキ、ここ広島においてはお好み焼なんて声も挙がる。駄菓子菓子(だがしかし)! 我々絶メシ調査隊が紹介するシメは…カレー汁。「広島ではカレーがシメ!?聞いたことないよ」という人もいるだろう。広島の繁華街・流川薬研堀エリアで長~く愛されている局地的シメが、今回紹介するカレー汁なのだ。カレーでも、カレーうどんでもない、カレー汁。深夜のシメ難民を優しくチルアウトさせ続けている絶メシを取材した。

(取材/絶メシ調査隊  ライター名/山根尚子)

溢れんばかりの惣菜が待つ
お袋の味ワンダーランド

ライター山根

「♪せとワンタン♪日暮れてんどん♪♪ゆうな~みこ~な~味噌ラーメン♪♪♪ てことで、だんだんと日も傾いて参りました。絶メシ調査隊の山根です。私が今いるのは、広島を代表する繁華街、流川のシメスポットとして知られる『新京本店』。こちらの名物・カレー汁は、カレーといいつつな~んか胃の腑に優しく染みわたる味で、懐が深いって言うんですかね。癒しのチルアウトメシって感じなんですよね。いつもは夜も深まって、さんざん飲んだ後食べるものというイメージなんですが、今日はバシっと一杯目から、カレー汁をキメていきたいと思いまっす。あ~、カメラマン早よ来んかいの~(空腹のあまり広島弁に)」

ライター山根

「いやー、明るい時間の『新京本店』を見るのは久しぶりです。この『目に言う』っていうよく分からない表記がいいでしょう。メニューのことだと思うんですけどね…。カメラマンさんもう外観撮りました? さあさあ早く入りましょう。そして食べましょう。ねっねっ」

扉を開けたら、そこは惣菜のお花畑…!

おびただしい量の小鉢が並ぶ店内。開店2時間前にお邪魔してこの状態…!思わず息をのむ絶メシ調査隊。その呼吸を見計らったかのように、惣菜ケースの向こうから声がした。

 

「料理はできあがってるからあとは並べるだけ~

ライター山根

「絶メシ調査隊の山根と申します。開店二時間前に凄い量の惣菜が…!壮観ですね!」

河野さん

「これはね、昼の部隊が作るんですよ。姉とパートさんと。前は5人くらいいたけど、今は3人でやってますね。凄い量っていうけど、今日は休み明けの月曜日だからそんなに…日替わり入れて、40何種類かありますかね。ある程度セーブして作ってます。大体月、火、水曜は量少なめにしといて、給料日あたりとか木、金、土曜はよう作ります」

ライター山根

「焼き魚が棚の上でオーバーフロー状態ですね。河野さんご自身がここで何かを作ることはないんですか?」

河野さん

「そう、ゼニ勘定と料理出すだけ(笑)。カレー汁食べますよね? ちょっと、できたばっかりでまだイイ味出きってないんだけど…」

というわけで、さっそくカレー汁を用意してもらう

河野さん

「粒が小さくなってトロミが出てこないと美味しくないの。だから作って24時間、常に回してますよね」

鍋一つで約25人前だというカレー汁の大鍋。これまでは平日は鍋4杯+ストック用1杯、週末は鍋6杯とストック用1杯を仕込んできた(現在は新型コロナの影響でその半分程度だそう)。前日の残りを注ぎ足し毎日作っていくので永遠になくならない。これぞカレーの輪廻転生、リーンカレーネーションである。

ライター山根

「空腹のあまりボキャブラリーに乱れが生じ始めています。私もう食べていいでしょうか?ゼエゼエ」

撮った瞬間もう食べる!

ライター山根

「これこれこれこれ!カレー汁ってこういう味でしたね!久しぶりに食べた~。カレーなんだけどしゃばしゃばっとしてて、出汁が効いてて、優しくて…溶けた野菜がまろやかで、牛筋の脂がとろっとしていて…あー、五臓六腑に染み渡る

えーい、ごはんにバウンドじゃ!

私はどっちも試したGIRL

河野さん

「どっちかていうとご飯を汁につけて食べる人が多いかな? うちのお客さんは開店から夜10時くらいまでがサラリーマンとか普通の勤め人、日付変わって午前3時くらいまでが飲み屋のお姉ちゃんとお客さん、3時過ぎたら商売やってる人だね、朝方まで。みんな、このカレー汁でシメて帰るってのが定番なんだよね~」

飲んだシメにも食べられる
「薄めたカレー」が名物に昇華

ライター山根

「いやー満足。本当に優しい味わいのカレー汁で、シメに選ばれるの分かる。出汁がよく効いてますが、何を使ってるんでしょうか?」

河野さん

「いやー、出汁のことは姉しか知らないんだよね! 昆布とか、いりことか、トマトとか、あと蜂蜜入れたりしてねえ! 野菜はじゃがいもと玉ねぎ、にんじん。そこは普通のカレーと一緒。あと牛肉入れて。牛肉はスジと普通の肉と両方入れてますね。あと飲む人が多いから、二日酔いに効くってことで、ウコンは多少ね、強めに入れてますよね」

優しい。優しすぎる。味わいの優しさに加え、酔っぱらいたちの翌朝のことまで考えたレシピ。この優しさはもう「バ〇ァリン」を超えている。昭和20年創業の「新京本店」だが、名物カレー汁はいったいいつ、どのように誕生したのだろうか。

河野さん

「カレー汁ができたのは…40年位前かな? 義理の兄が呑兵衛で、カレーが好きでね。飲んで帰ってきたらカレー食べたいって言うんだけど、そのままごはんと食べると翌日胃にもたれるから、『薄めてくれ』っていう形から始まったらしいね。そしたらやっぱり、水だと薄いから味が付かないでしょう、それで姉がなんか、出汁かなんか入れたらしいんだよね。それお客さんが見てから、食べたい食べたいって言いだして…。最初はメニューにも何にもなかったんだよね。ところで、カレー汁だけでいいの?もっと食べていきなよ

ライター山根

「いいんですかーーーー???わくわく。では、河野さんのおすすめをお願いします!」

…と答えるやいなや(as soon as)!

ライター山根

「(わーいわーい)マカロニたっぷり♪きゅうりと薄切りハムっていう定番の具材もいいですね。マヨネーズの味がやわらかくて、こういうの一品家であったらいいけど、意外と作るのに手間がかかるからサボっちゃうんだよなあ…」

ライター山根

「(満足満足腹八分)しっかり甘い!じゃがいも大きい!小鉢といえど侮れない、ぱんっぱんに料理が詰まってる! こういうきちんと甘いお惣菜って箸が進みますよね~」

ライター山根

「(だ、だいぶお腹いっぱいになってきたな)牛肉がほろっと時雨れてビールに合う! 河野さんの好きなのって、この中だと…?」

河野さん

「自分が好きなのは、やっぱり肉じゃがとか、きんぴらとか。あ、あと魚の子かな!食べてみる?」

ライター山根

「(あ、満腹中枢が…)甘じょっぱくて、魚卵にしっかり火が入ってて、ぷちぷちしてる感じが好きだ!なんの卵なんですかね?」

河野さん

「メルルーサ」

ライター山根

「め、めるるーさ…?」

河野さん

「けっこう大きい魚だと思うんだけどねえ!大きい魚じゃないとこの卵は取れないから。魚屋さんはずーっと同じところにお願いしててね、うちは鮭だって大きいんだから」

「新京本店」の調理部隊である河野さんの姉は、パートさんとともに朝7時から午後3時頃までが出勤時間。河野さんはその時間帯は休んでいるため「お客さんにどうやって作ってるかって聞かれるのが一番困る」と笑う。

河野さん

「あ、そうだ、盛り込みも食べてみてよ!」

も、盛り込み…って何ですか??

河野さん

「あとね、出汁巻きも食べてください。うちの出汁巻き。これはたぶんね、麺類の出汁汁使ってると思うね」

空腹だった頃が懐かしくなってきた

平日は毎日12時間営業の
単身赴任を19年続ける男

出してくださった料理はどれもきちんと味の入った、昔ながらのお袋の味。いや、今やこれだけの種類を家庭で用意することはなかなか難しいという意味で、お袋の味は超えている。ご飯が進んで堪らないが、いかん、このままでは絶メシ調査隊本来の目的が果たせず、ただただフードファイトしに来た人になってしまう…! そろそろ調査を進めていかねばならない。

ライター山根

「『新京本店』さんの創業は昭和20年、終戦の年ですね。当時からこういう業態のお店だったんですか?」

河野さん

「戦後すぐは、おじいさんおばあさんが中華そばの屋台を広島駅の闇市のあたりに出していて、その頃は名前がなくてね。それが広島駅に百貨店ができて、みな立ち退きになったわけ。それで流川に出てきて、最初はこの近くの3階建ての建物に入って。そこが自分が大学…1年生か2年生の頃かな、火事になって。今のこの場所になったのはもう44~45年前かなあ」

河野さん

「子どもの頃は嫌だったよねえ。両親に運動会や参観日に来てもらえたこと一切なかったもんね。まあ、その代わり遠足じゃあ大威張りだったけどね、料理が豪華で(笑)。高校の先生なんかも昔はよく飲みに来てくれてたよ。自分は大学から東京に出てて、店はお袋がやってたんだけど、倒れてね。姉一人ではできんっていうから、平成14年にこっちに戻ってきたよね、単身赴任で。最初は嫌だ嫌だって思っていたけど、20年近く経てばもう、ねえ?」

ライター山根

「え?平成14年からずっと単身赴任なわけじゃないですよね?」

河野さん

いや、ずっと単身赴任なんです。55歳の時に、その当時勤めてた会社で早期退職の募集があって、退職金が3割増しで出るっていうから、喜んで(笑)」

店を自分が継ぐことはないと思っていたという河野さん。しかし、姉からの相談もあって、東京に家族を残して故郷へ戻る道を選んだ。朝型のサラリーマン生活から一転、夕方6時から朝6時までというとんでもない営業時間の「新京本店」の暖簾を守り、今や店主歴19年である。

「早くて旨くて安い」の三拍子を守った食堂として人気を集め、一時は広島市内に3店舗を展開。兄弟や親戚が同じメニューで営んでいたが、継ぐ人がいないということもあり少しずつ閉店。現在はこの「本店」のみが残る。

ライター山根

「後継者を探されたりはしていないんですか?」

河野さん

「自分の代、三代目で終わりだよねえ。姪が手伝いに来てるからやったら?とは聞くんだけど、ウンとは言わないよね~。まあ人を雇うのもなかなか難しいしね。やっぱり家族でやらないとこういう商売は難しいと思うよ。知らない人にやってもらうのもなんだし、それならもう辞めたほうがいいかなと思うよね。この陳列の機械なんかもね、もうないですから。壊れたらアウトです、作るところがないから。これだってはあ、もう40年以上使ってるんだから」

カレー汁の前にカレー汁なし。ごろごろと具材が入ったスープカレーの本場・北海道から訪れた観光客は、具の入っていないカレー汁に驚くという。カレーなのにさっぱり味、カレーなのに胃に優しい。家族の体調を思って生まれた名物料理は、いまや流川・薬研堀の呑兵衛たちの癒しメシに。新型コロナウイルスが流行り始めたこともあり、家族の住む東京には2年近く帰っていないという河野さん。いつかは必ず来てしまう「カレー汁が食べられなくなった流川の夜」を想像すると、今からちょっと寂しくなる。そんなセンチメンタルな気持ちで店を後にしようとした調査隊に、河野さんはこう言った。

 

「もう帰るの?…なんか、あんまり食べんかったねえ」

…いやいやいやいやいや!!!!!

 

取材・文/山根尚子

撮影/キクイヒロシ

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