「お客様ファースト」すぎて
メニュー増加が止まらなかった
年齢非公表のスパイシー兄妹
「あっ、『桃丘』の匂いがする…」。その店で食事をすれば、街ですれ違った赤の他人にも残り香でバレバレになるという。広島の中心街・並木通りに漂うスパイスの香りは、もはや「カレーの匂い」ではなく「桃丘の匂い」といっても過言ではない。一見昭和の欧風カレー、その実態は、「まさか昭和の時代からこんな尖ったカレー作ってたとは…!」と驚かされるスパイスカレー。作り手である、お揃いのカレーマスクを身に着けた兄妹に取材をしてきた。
(取材/絶メシ調査隊 ライター名/山根尚子)
えっ、本当に覚えてます!?
記憶力良すぎる「並木の吉田羊」
「こんにちは!絶メシ調査隊広島支部会員番号002の山根です。普段は地元のタウン情報誌を作っております。三度のメシよりメシが好き。シンプルに食べるの大好き人間です。寄る年波とともに揚げ物が食べられなくなるってものの本に書いてあったのに、一向にそうならない…いつまでもワンパクなご飯ばかり食べてしまいます。そんな私が今日訪れるのはこちら。広島カレー界のリビング・レジェンド、『カレーの店 桃丘(とうきゅう)』さんです」
本日の絶メシ調査隊の目的地『桃丘』は、広島市の中心的な商店街の一つ、並木通りの中ほどにある雑居ビルの2階に位置する。1982年創業、今年で39年目のカレー専門店である。
店構えだけなら、よくある昔ながらのカレー屋さんかなあ…という感じなのだが、ビルの入り口部分で、スパイスの香りとともに漂うその「ただごとでない」雰囲気に思わず立ち止まってしまう。
例えばこうだ。
そしてこう。
さらにこう。
「『カレーと昭和の香り』って、私が知ってる昭和、全然こんなんじゃないんですけど!(笑)。とにかく濃い。立っているだけで感じる強烈なスパイスの香り。さらにこのイラスト看板で、謎の異空間に迷い込んだような気持ちになります。実は私、10年以上前に取材で来たことあるんですよ。お店は、お兄さんと妹さんのお二人でやっておられます。私のことなんて覚えてないと思うけど…とりあえず入ってみましょう!」
2階へ向かう狭い階段の両脇に張り巡らされた無数の看板を眺めながら入り口へ。店の扉はガラスなのだが、ステッカーが貼られすぎていて中の様子が全く分からない。勇気をもって扉を開ける。カランカラーン。そこに待ち構えていたのは、お揃いのカレー柄マスクに身を包んだこの笑顔だった。
「いらっしゃ~い!」
「今日はよろしくお願いします! あの、実は私、10年位前に一度取材させてもらったことがあって…って覚えてないですよね!?」
「覚えてる!」
「(なわけねえ!10年前やぞ)えー、ほんとですか!?」
「何年か前にご結婚されましたよね!」
「えっ(←驚愕)」
「そうそう、山根…尚子(しょうこ)さん!」
「尚子(なおこ)だけど正解! 取材に行ったの独身の時なのに、その後結婚したことまで把握されているとは…」
再会早々、太田兄妹の尋常ならざる千里眼ぶりに触れてしまい、震える絶メシ調査隊一行。さらに最後に会った10年前から全く変わらぬこの風貌、いったい現在何歳なのだろう、と確認を試みると、残念ながら年齢は非公表とのこと。
「妹は『並木通りの吉田羊』って言われてるんでごめんね~。僕の年齢言ったら大体分っちゃうでしょ」
吉田羊なら仕方ない。年齢確認は諦め、まずはカレーの準備をしてもらうことにする。店内に漂うスパイスの香りにうっとりしながら店内を見回す。そこで目に付いたのが、店の雰囲気に合わない巨大な空気清浄機だ。
「これはね、お客さんに教えてもらったんです。申請するとほら、10万円までこういうのいろいろ買っていい助成金があるって。それで、『ダイソン』のサーキュレーター。あとね、これもこれも」
「ああ、パーテーションとか。コロナ対策でね」
「そうそう。お客さんが教えてくれるから。やらないともったいないよって」
予告するがこの後、この「お客さんが」という表現が再三登場することになる。「お客さんが」は、『桃丘』を紐解く大事なキーワードなのだ。
その皿の直径、28㎝
スパイスの海に溺れたい
そうこうするうちにカレーの準備が整った。「ランチカレー」として夕方5時まで(ランチなのに)提供している、他人カレー(650円)だ。皿に対してゆで卵の大きさが小さすぎるように感じるかもしれないが、これは視覚のマジック。
皿が大きいのである。
「ランチカレーはこの他人カレーと、ササミチーズカツ+ゆで卵の親子カレーと、魚フライカレーの3種類なんですね…ってムム!? 同じランチカレーでも、親子カレーと他人カレーは夕方5時までなのに、魚フライカレーは1時で終わりなんだ。これってどうして?」
「なん………ででしょうか………(しばし考える)」
「前は同じだったんですけど、なんかいつの間にか…。他のランチも前は4時までだったんですけど、1時間伸ばしたりとか」
「何か気に入らんことがあったんでしょうね」
気に入らんこと、とは…?
「………まいっか!お腹空いたんで、いただきまーす!」
「ご馳走様でした~!」
今回「桃丘」を取材するにあたり、ぜひ確認したかったのが、この皿の大きさだ。浅皿とはいえとにかくデカい。いったい何㎝あるのか…と測ってみると、直径約28㎝。ほぼA4である。これが普通盛で、ほかに中盛(+100円)、大盛(+150円)、ルー大盛(+150円)の設定もあるのだから恐れ入る。
「久しぶりに食べましたけど、ほんとすごいボリューム。この量でビーフカツついて650円。心配になる量と安さですが、なんでこんなことに…?」
「昔は移転前の広島大学が近くて、僕も若くて年が近かったから、大学生が多かったんですよ」
「パッと見、昔ながらの欧風カレーかな?って思うんですけど、食べたら違うんですよね。攻めてるなってくらいスパイスが効いてて、食べ終えるとなんかポカポカしてくるんだよな~」
「そうそう。スパイスの力で、お店入るときは顔色悪かったお客さんが、ピンク色になって帰りますから」
「やっぱりスパイスの種類は企業秘密…ですかね?書いて差し支えないところでいえばどういったものが入ってるんです…?」
「カルダモン、セージ、タイム、コリアンダー、フェヌグリーク、クミン、パプリカ、メイス、ガラムマサラ、クローブ、オールスパイス…(ペラペラ)」
「めっちゃ教えてくれるやん」
「玉ねぎを炒めてブイヨンを作って、香辛料と小麦粉入れてルーを作って、10何時間か煮込みます。昔はもっと煮込んでたけど、スパイスの香りが飛ぶんで短くしました」
「トマトは入っていないんですね」
「トマトはやめた!あとヨーグルトもやめた! 酸味が強い強いってうるさいから、お客さんが」
「ああ、じゃあ味や作り方は変わってるんだ。スパイスの配合も変わってるんですか?」
「変わってます!すーごい変わってる! 全く別のものって言えるんじゃないですかね、最初と比べたら」
「昔はもっと黒っぽかったって、お客さんが言うには。あと辛さも辛かった」
「可愛げがない。角が立ってた。性格も!」
「性格もw」
「若い頃はとげとげしいですよねえ。『辛い!』って言われても『知るかあや!』って。今は味もマイルドになりました、性格と一緒で」
「仕込みは毎日ですか?」
「毎日ですね。前の日のカレーと新しいのを混ぜたりもして、毎日作ってます」
「出来立てはちょっと若かったりね。同じように作っても季節によって味が違うよね」
「僕が大雑把なものを作って、一番最後の繊細なところは妹が微調整してます。客席に持っていくと、お客さんの感じが分かるじゃないですか。ちょっと辛すぎるんだなあ、とか」
「なるほど…。ところでメニュー数がね、これ毎日出してるんだって驚くくらい多いんですけど」
そう、「桃丘」はメニュー数の多さでも知られている。ベースとなるカレーのメニューが23種類。これ以外に、カキフライまたはエビフライにトッピングを1品追加できる「コンビネーションカレー(各800円)」が18種類。さらに単品追加できるトッピングが21種類。辛さは1~10辛まで指定できる。ベースメニュー×複数のトッピング×辛さで組み合わせていけば、バリエーションは無限といってもいいだろう。
「オープン当初の『桃丘』さんも、こういうメニューだったんですか?」
「ここまでじゃないよねえ。最初からあったのはポークカツ、ビーフカツ、ビーフカレー。あんぐらい」
「お客さんがね、あれがいいこれがいいっていうから、だんだん増えて」
「言いなりですよ!」
「サラダも、ビールもなかったんですよ。あったほうがいいって言われて。ビールも、生があったほうがいいって」
「言いなり!」
「で、辛くできるようになった方がいいって言われて辛さも変えられるようになって…」
「で、来なくなる(笑)。言った癖に来なくなる」
「今では『メニューが多すぎる』って逆に言われてますから」
「めんどくさい、ほんとに(笑)。若いころから比べたら、それでもちょっと減らしてるよね。メンチカツとか」
大学時代のアルバイトから
安易な考えで?店をオープン
広島中心部の風景にしっくりとなじみ、悠久の昔からあったように思える「桃丘」だが、そのオープンは1982年。それまではこの場所には「サンジュリア」という喫茶店があったのだそうだ。当時の並木通りといえば、今以上に広島の一等地で、感度の高い若者が集まるファッションストリートである。なぜここに、店を構えることになったのだろう。
「この通りになかったから、カレー屋さんが。やったら当たるかなと思って(あっさり)」
「え、そんな簡単に⁉ それまでは何をしてたんですか?」
「大学時代からずっとレストランでアルバイトしてて、それでそのまま…。同級生のいとこの店だったんです、ここが。喫茶店で。その人がここを辞めるってときに、同級生が『やらないか』って声かけてくれて、じゃあ出したいなと。カレーはアルバイト先で作ってたから、カレーにしようって。ははは、安易な考えで。店の名前『桃丘』は、母親が日本画やってて、その雅号をそのまま付けました。開店資金全部母親が出してくれたんで。まさかこんなに続くと思ってなかったからね~」
ちなみにここでもともと喫茶店をやっていた人は、現在広島市内で「SOUL TRAIN GANG」というバーをやっているとの情報も得た。広島のソウルミュージックバーとして知られる老舗バーと「桃丘」に関係があったことは絶メシ調査隊にとっても意外な驚きであった。
「今日、取材するのに久しぶりにお店の外観をじっくり眺めてまして。ずっと見てるからあんまり気付かなかったけど、モダンというか、凝ってますよね。ビルの入り口がカレー色のタイル貼りになってたり、ネオンでTOKYUって書いてあったり…」
「昔はレンガ張りだったんです、タイルにやりかえてくれちゃって。これは10年以上前に、大家さんに直してもらいました。ネオンを貼ったのは昭和61年ですね。あれは斬新だったね~最初。みんなに驚かれました」
「昭和61年ってことは1986年。ちょうどネオンとか使ったあしらいが流行った頃かもしれませんね…。来られるお客さんって、その頃と比べて変わりました?」
「年齢上がりましたね。最初は高校生が多かったけど、今は全然来ない」
「でも若いお客さんはけっこう来てくれるんです、場所柄。それはありがたいですね。ずっと昔からの常連さんが来なくなったら終わりって言うんじゃなくて、ここは並木通りだから、なんだかんだ言って若い子も来てくれる」
「初めてのお客さんもけっこういるもんですか?」
「多いです多いです。友達に聞いて来るんですかね?でないと、ちょっと2階だし、一人だと勇気がいると思いますよね」
「年金世代の人も来てくれますよ!」
「年金世代w」
「やっぱりね、同世代がやってるんで」
(「年齢非公表」「並木の吉田羊」というワードが一瞬頭をかすめたが、聞かなかったことにして話を進める…)
ハーバード大生も来た!?
外国人が集う店に…
「私ちょっと気になってたことがあるんですけど、お店の壁に外国人の写真がめちゃくちゃ貼ってありますよね?これって誰なんですか?」
「どうも『桃丘』には外国人が多いって話題になってた時期があって、テレビで『外国人が多い店』ってテーマの取材があったんです。それじゃあってことでお店に来てくれた外国人さんの写真を撮って貼るようにしたら、そのうち外国人さんの方からも『飾ってくれ』とか言われるようになって…。けっこう何回も来るお客さんいるんです、フィリピンから毎年来たりとか。だからイングリッシュメニューも用意してます」
そのイングリッシュメニューがこちら
「ハラキリプライスって書いてあるんですけどwww」
「安い!ってびっくりされるから。これ正しい?って言うもんね、お金払う時」
「そういえば、下の看板にも英語使ったものがありましたね」
『桃丘』のもう一つの名物が、この店中に描かれた数々のイラストだ。これらは全て、イラストが趣味だという兄・博也さんの自作である。
「古いのかな、と思いきや、コロナに関連した看板もあったりして、けっこう描き足されてるんですよね、これとか」
「間が空くときは空くんだけどね。この時短のやつはけっこうウケてます」
「評判いいよね」
「これって元カープの黒田選手の座右の銘ですよね?『雪に耐えて梅花麗し』」
「いやいや、西郷隆盛なのよ、もともとは」
「耐雪梅花麗」は、西郷隆盛が甥の市来政直に贈ったとされる漢詩の一節。冬の厳しさに耐えた梅が美しい花を咲かせるように、人間も困難を乗り越えれば大きく成長できる、という意味が込められている。苦しい時短の時期を耐えれば、桃丘の桃の花も…。
恩讐を超えて?続く
兄と妹のルーティン
「ところで創業39年ってことですが、お二人の毎日のルーティンってどんな感じなんですか?」
「そうだなあ、だいたい10時過ぎに来て~」
「掃除して、テーブル拭いたり椅子拭いたりして」
「カレー温めて~」
「野菜切ったり、お水のポットのセットしたりって感じですね、トイレも掃除したりとか。いろいろやってたら11時30分になって~。一番忙しいのは12時から1時くらいですかね? あとはもう、ぽつぽつ。空いた時間で玉ねぎ切ったりして。休憩なしで、9時半オーダーストップで9時45分に閉めて、後片付けして11時くらいに帰りますね」
「そっかぁ…それを毎日…。なんかね、私家族と働いた経験がないので、兄妹で毎日一緒に働いてたら嫌になっちゃわないかなって思うんですけど…。嫌になりません?」
「なります!!!!!!でもお金のためなら我慢します!!!」
「恩讐を超えた仲です」
「お金が絡むと仲良くなりますw」
「よそで務めてたらもう辞めてるかもしれないけど、私が辞めたら困るだろうから、と思うと辞められないですよね」
兄と妹の、夫婦を超えた阿吽の呼吸が織りなす『桃丘』の空気感。最後に、今後お店を続けていくにあたり、後継者を考えているかどうかを教えてもらった。
「一代限り!(きっぱり)」
「あ、迷いがない…」
「ビルの建て替えか、自分たちが死ぬかのタイミングでやめようかなって思ってます。事業を継いでもらってもし上手くいかなかったら晩節を汚すことになるし…」
「どういう辞め方がええかな~って考えてますよ! どういうんがカッコエエかなって」
「そっか…じゃあ、いつかは必ずなくなっちゃうんだ、『桃丘』は(シュン)」
「お客さんも心配してくれます、いつまでも元気でって。久々に来たお客さんも、私たちが元気だとすごく喜ばれるし。ありがたいですよね」
「僕らここに40年くらいいますからね、ずーっと。2~3年のつもりが、いつの間にか40年経って」
「昔は自分たちでも思ってなかったよね。7年やってるって人の話聞いて『すごいですね!』って言ってたもんね…。100歳まで長生きしている人も、きっとそうだと思いますよ」
「お客さんが」「お客さんに」「お客さんのせいで…」。メニュー数からスパイスの配合まで、どこまでも「お客さんファースト」を追求する二人。10年前一度会っただけの人間をしっかりと覚えているのも、お客さんをとことん大事にする気持ちの表れなのだろう。SNSは一切やらない二人だが、Twitterには常連客が作った『桃丘』のアカウントがあり、常連客がSNSなどで紹介したことで訪れるいちげんさんも多いという。いつまでもここにあってほしいけど、この二人が作るからこそ、この空間は『桃丘』でいられるのかもしれない。
取材・文/山根尚子
撮影/キクイヒロシ