路面電車の窓から見える
あの店のシュークリームは
家族の💛の味がした。
路面電車の窓から見える
あの店のシュークリームは
家族の💛の味がした。
広島の街を縦横無尽に走る路面電車。本日の絶メシの舞台は、その線路沿いに建つ歴史ある洋菓子店。広島電鉄・天満町電停のホーム正面にある「ハイデルベルグ」は、電車が電停に停まったときいつも正面に見えることから、「ずっと気になってた!」という広島人も多いお店だ。店の自慢のシュークリームの取材に向かった調査隊を待っていたのは、やさしい空気のご家族のラブにあふれたエピソードだった。
(取材/絶メシ調査隊 ライター名/清水浩司)
と、町ぶら番組の体でライター清水が向かったのは西区観音町にある「ハイデルベルグ」。ここ、広電市内線・天満町駅ホームのまさに真ん前にあるのだが、電車が電停に停まってるとき店内の様子が見えるのだ。それはまさに古き良き洋菓子店の雰囲気で、郷愁を誘ってやまないところがある。高校時代によくこの路線を使っていたライターも、ずっと気になっていたけど行ったことがなかった店。念願かなって、今回初の来店である。
「こんにちは、取材にまいりました。実はこの店、ずっと気になってたんです」
「はあはあ、ありがとうございます。ちょうど今、シュークリーム焼いとるところですよ」
電車から見てたお店の印象通り、やさしそうなお人柄。物腰も口調もとってもマイルド。さすがシュークリームだけに、フワフワのシュー生地で包まれるようである。
「ではさっそく自慢のシュークリームができるまでを見せてください。あれ、そちらはどなたですか?」
「息子のリョウと言います。涼しいと書いて涼。涼しいかどうかはわかりませんけど……はっはっはっは」
「あ、この店、ちゃんと跡継ぎがおられるんですね。絶メシの心配はなさそうで安心しました」
「シュークリームは息子が担当してるので、まず生地づくりからやらせましょう」
「ハイ、よろしくお願いします」
めっちゃ手伝ってるし……
「涼さん、手慣れた手つきですね。もう任せちゃって大丈夫じゃないですか?」
「ええ、バッチリだと思います。なので私はそろそろ隅の方へ……はっはっはっは」
めっちゃ手直ししてるし……
「これでオーブンで15分焼きます。ウチは食べるとき皮が柔らかい食感になるよう、高温で焼くようにしています」
15分経過……チーン!
「焼けたようですね……見てみましょうか」
3代目、置き去り……
「次はシューにクリームを詰める作業ですよね。あら、こちらはどなた?」
「妻の玲子です。クリームを中に詰めるのは妻の担当なんです」
「クリームの特徴は?」
「ウチのクリームはカスタードですけど、卵の黄身と牛乳を炊いたソース・アングレーズの味を引き立てるようにしています。卵の風味を活かす感じです」
なんだかんだで、父、母、息子、親子3人の合作となったハイデルベルグのシュークリーム(140円)。さっそくいただきましょう!
「実はこう見えて、僕、甘いものが大好きなんです。スイーツおじさんなんです。本当はこういう取材は女性の方がいいんでしょうけど……」
「はーっはっはっは。いやいやいや、ありがとうございます」
それでは、絵面がおじさんで大変恐縮ですが、パクッといかせていただきます。
レッツ・シュー!
「あ、皮が柔らかい。フワフワで溶けるみたいに食べられますね。そこからカスタードの甘さがジワーッと。コレ、やさしい甘さですね。なつかしい甘さだし、甘すぎないのがイイ」
「ありがとうございます、ふっふっふっふ」
「カスタードの味に深みがありますよ。薄皮のシューとの相性もぴったりです」
「ええ、そうですか……アングレーゼは炊き方で全然風味が変わりますからね」
「今年創業75年ですけど、75年間でシュークリームの味は変わりました?」
「創業当時は和菓子屋だったのでシュークリームは作ってなくて。作りはじめてからも牛乳がない頃は練乳を使ってたし、今の味になったのは私がヨーロッパの修行から帰ってきてからです」
「ハイデルベルグの歴史、じっくり聞かせてください!」
常雄さんの父である常義さんがハイデルベルグの前身である「住田製菓」を創業したのは1947(昭和22)年。戦争が終わってわずか2年後、廃墟にバラックを建て、きんつばなどの和菓子を作りはじめた。当時はもののない時代。甘味の需要は高く、作れば飛ぶように売れていたという。そこから高度成長期に向かう中、住田製菓も「二文字屋」と屋号を変えて大きく躍進する。洋菓子にも進出し、工場を構え、広島バスセンターや廣島百貨店、天満屋、サンモール、イズミ祇園店(現ゆめタウン祇園)などに商品を卸すようになる。
「常雄さんは2代目として跡を継いだわけですけど、もともと家業を継ぎたかったんですか? そうでもなかった感じですか?」
「うーん、半々といった感じですかね……親父が『何がなんでも!』って感じだったので」
「この人は一人息子でしたから」
「てことは、他にやりたいことがあったんですか?」
「税理士や会計士をやりたいと思ったこともあったんですけどね。大学も修道大学の商学部ですから」
「いや、大学のときはもう継ぐ感じになってましたよ」
「家業を継ぐことを決意して、ヨーロッパの修業に行かれたんですね。それは親父さんに『修業してこい!』って言われたから?」
「それは自分から。『このままじゃ継げんから修業に行ってくる』って言ったんです。25歳から1年間、スイスのルツェルンとドイツのデュッセルドルフで修業して、フランスとオーストリアの製菓学校にも行きましたね……」
75年目のハイデルベルグを巡る物語。長い歳月の中には、アッと思わせる意外なエピソードが眠っているものである。
「この店の名前は常雄さんがつけたんですか? ハイデルベルグってドイツの街の名前ですよね。どうしてこの名前に?」
「あの街のロケーションが気に入ったんです。ヨーロッパの修業中に訪れたけど、中世のお城が有名でね。あと、『アルト・ハイデルベルク』という恋物語もありますし……」
「恋物語ですか。恋物語、恋物語……んんんん?」
ピーン!ときちゃった💛
「さっきから気になってたんですけど、奥様、常雄さんの大学時代のことまで相当詳しいですよね! 2人はいつ知り合ったんですか?」
「大学時代ですけど、いや、まあ、そのへんは……(奥さんを見て懇願)言って」
「私は彼より2つ下で、新入生が上級生に大学のことを教えてもらうオリエンテーションがあるじゃないですか。知り合ったきっかけはそこなんです」
「えー、大学に入学したばかりの奥さんにいきなり手を付けた(←言い方!)んですか?」
「いやいやいや! 声を掛けたわけじゃなくて、たまたまというか……(しどろもどろ)」
「たまたま打ち上げコンパで座った座席が向かい合わせだったんです」
「大学時代からの付き合いってことは、常雄さんのヨーロッパ修業中は遠距離恋愛ですよね。当時は手紙を書いたり?」
「電話かけてましたね。当時は5マルク=500円くらい出すと1分間しゃべれるんです」
「(懐かしそうに)急にかかってきて1分間だから、もうあっという間で」
「なるほど、遠距離恋愛が2人の愛をはぐくんで、それが今に至るハイデルベルグの礎を築いたのだと!」
「(声をそろえて)いやいやいや……はっはっは。おっほっほ」
おいおい、ラブラブかよ
ヨーロッパ修業から帰って来た常雄さんは、1988(昭和63)年に念願の路面店を今の場所に出す。これまでは百貨店などにテナントとして入っていたが、自分たちのやりたい洋菓子を表現するため、自分たちの店を持ちたいと2人はずっと夢見ていたのだ。あれから季節は流れ33年――店では息子の涼さんが一緒に働き、着実に味の継承が行われている。
「これからのハイデルベルグに望むことはありますか?」
「涼なりの商売をやっていってほしいですね。店のために人があるんじゃなくて、人のために店があるわけで。時代に合わせて自分のやりたい商売をやっていくことが、続いていく秘訣なのかなと思います」
「その中でも昔ながらの食べやすいシュークリームは続けていってほしいですね。街の人たちに愛されるケーキやパンを目指してほしいと思います」
大恋愛のご夫妻と将来を担う若き3代目。お店を支える人間模様を知れば、これから路面電車に乗ったとき、目に映る車窓の風景もちょっと変わって見えそうだ。
取材・文/清水浩司
撮影/キクイヒロシ
No.06
ハイデルベルグ(ハイデルベルグ)
082-233-7190
8:00~19:30 ※すべてテイクアウト
不定休
広島県広島市西区観音町8-21
広電天満町電停から8m
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