オムランチVangard(ヴァンガード)

No.13

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ジャズを愛する青年が

オムライスが美味しい

喫茶店のマスターになるまで

大好きなお店に行くとき、あなたの目当ては何だろう? 味だったり、空間だったり、そして何より、その場所で待つ店の人だったり。広島市中心部から車で約30分。住宅街の坂道にぴょこっと現れる一軒家は、ジャズとゆったりとした時間が流れる寛ぎの喫茶店だ。昭和の喫茶店ブーム時に誕生し、一時は街中のショッピングモールにも出店もした。長く愛されるこの場所をつかさどる、長く愛されるマスターを訪ねて来た。

(取材/絶メシ調査隊  ライター名/山根尚子)

電車ありませんけど…?
目印は突然の踏切

「どーもー、絶メシ調査隊です!」

ライター山根

「は~いテンション高くやってまいりました、絶メシ調査隊の山根です。ここは広島市安佐南区の老舗喫茶店『ヴァンガード』! 今日はね、久しぶりに自分で運転して取材地まで来ました。運転があんまり好きじゃない私、電車で来れたら来たかったな…。って、あれ?」

踏切がある。

ライター山根

「なんだなんだ、踏切あるってことは電車通ってんじゃーん!電車で来ればよかった…って、あれ?Part2」

踏切の前に線路はない。

ライター山根

「…うん、最高、謎めいてる!」

一車線ながら車通りの激しい住宅街の道路沿い。お店に出入りする車が少しでも通りやすいようにという配慮だろうか。ひとまず謎は謎のまま、絶メシ調査隊は店内へと足を踏み入れた。そこに待っていたのは、絶賛ランチ調理中の店主・滝村勝博さん。

ライター山根

「こんにちは~、絶メシ調査隊です!営業中にすみません!」

滝村さん

「ああ、いま料理してるからちょっと待って」

…ということで、店内や滝村さんの調理の様子を見ながら少し待たせていただく。『ヴァンガード』は1987年創業。敷地内に焙煎小屋を構えた、自家焙煎珈琲豆の販売も行う喫茶店だ。コーヒーはブレンド6種類、ストレート9種類、さらにエスプレッソ、カフェ・ラ・テ、アッフォガードやターキッシュ・コーヒーまで揃う。

料理はパスタ・カレー・オムライスが中心。なかでも看板メニューのオムライスが評判ということで、オムライスに日替わりの副菜が付く「オムランチ」を注文してみたのだが…。

 

卵液+全卵のMIXが生む
食感のケミストリー

…あれ?目玉焼き…?

ライター山根

「半分卵液、そのなかに全卵を割り入れて作ってるんですね? この作り方初めて見たなあ。なんか知らんが美味しそう~。しかも、フライパンの形もちょっと変わっていますね。オムレツの形にぐにゃっと曲がってる…!」

滝村さん

「オムライス1人前に卵液1個分と全卵1個を入れて半生に仕上げる…これはね、俺のこだわり。フライパンは板金でたたいてね、卵液が広がらないようにしてる」

ライター山根

「わー、こうして話す1~2分の間にむちゃくちゃ綺麗なオムレツが!」

フワッフワ。大事なことだから2回言うがフワッフワ。軽やかに宙を舞い、空気をはらみながらフワッフワ(3回目)に焼き上げられたオムレツが、形を整えたキャロットライスの上に優しく置かれ、上から濃いオレンジ色のソースがたっぷりと注がれる。

滝村さん

「ソースはトマトソースとベシャメルソースを混ぜてる。あと、今日の日替わりはスモークサーモンと白身魚のマリネ。これとポテトサラダを乗せて、スープを添えて…はい、できた」

う、美し~!

ライター山根

「綺麗だなあ。Vangardの名前入り白皿もシンプルでかっこいい。画として完成されてるな~。崩すのがもったいない…まあ、崩すんですけどね。いただきまーす!」

ライター山根

「表面は綺麗に形が整っているのに、中はとろとろ!これはテクニックだなあ。さっきの卵の入れ方も食感に関係しているんですかね?」

滝村さん

「この作り方のきっかけは丼。丼って、黄身と白身が混ざりきってないところがあってとろ~っと半熟でしょう?それをオムライスでできないのかなと考えて。卵の状態を見て調整するから今日はそうしてないけど、黄身をつぶさずに焼いて、半分に切ると黄身だけがそのまま出てくるように焼く日もある。特に冬は黄身がギュっと締まって壊れにくくなるね」

ここ5年ほどは島根県の養鶏場から取り寄せているという卵は、オムライスの主役。食材から生まれる味わいのよさと、滝村さんのみごとな調理テクニックが融合することで、主役の魅力が2倍にも3倍にも感じられる逸品だ。

ライター山根

「もりもりぱくぱく。卵のとろっと感、優しい味わいのライス、付け合わせのマリネも爽やかな酸味で大満足。これでコーヒー付き1100円は安い! すみませーん、食後のコーヒーお願いします!」

滝村さん

「ドリップしている様子をお客さんに見せるデモンストレーションというところもあって、この専用のドリップ台で淹れてます」

♪ダバダ~ダバダ~、ダ~

ライター山根

「TAKIMURAブレンド、優しい口当たりで飲みやすいなあ。たっぷり入ってるのも嬉しい」

音楽を愛する青年は
ピアノ売りから始まって…

しっかり食べて大満足したところで、ランチ営業もひと段落。ここからは滝村さんに『ヴァンガード』の歴史を聞かせていただく。

ライター山根

「ちなみに滝村さん、このイラストの男性は…?ルイ・アームストロングじゃないかとカメラマンが言うとりますが」

滝村さん

「そう、ルイ・アームストロングじゃね」

ライター山根

「お、当たりましたね」

滝村さん

当たるったってそんなもん、外れるわけないよね。これが渡辺貞夫には見えんでしょ(笑)」

ルイ・アームストロングはアメリカのジャズ・トランペット奏者(ちなみにナベサダこと渡辺貞夫は日本を代表するサックス奏者)。店名の『ヴァンガード』も、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにある伝説的ジャズ・クラブ『VILLAGE VANGUARD』(サブカル書店ではない)に由来。店内には大きなスピーカーやCDが並び、店の端々から滝村さんのジャズ愛が伝わってくる。

 

極め付きはこちら。

滝村さん

「ジャズも好きだけど演歌も好きよ」

ライター山根

「1987年創業だそうですが、それまでは何をされていたんですか?」

滝村さん

「サラリーマンだね俺。ピアノを売っていました。『世界のヤマハ、日本のカワイ』の日本のほう(笑)。なんで今こうなってるかっていうと難しいんだけど…あのねえ、結局サラリーマンに挫折したんじゃないかね。あの当時は学歴社会だったでしょ。俺は高校しか出てないからねえ。大卒が24~25歳で主任とかになる感じなんだけど、俺は22歳で主任。来年は係長って言われてね。ちょっと待て、俺のような高校しか出ていないボンクラが23歳で係長なんて、この会社ダメになるなと思って辞めた」

ライター山根

「えー!もったいない…!(ていうかそれって挫折じゃないような)

滝村さん

「そこから独立して、3年くらい自分で楽器屋をやってたんだけど、会社行かなくていいわけよね、そうすると。流川で夜飲んでうろうろすると朝起きないから。起きなくてもいいわけだよねえ!

起きなくてもいい…わけではない。

滝村さん

「自己管理できなくてそこでまた挫折。何しようかなって考えてるうちに、友達の喫茶店手伝うようになって、はじめは駐車場の係。それが、焼き飯作ったりコーヒー作ったりやりだして…なんか俺の方が上手にできるし。風来坊で、無職だから遊びみたいで面白いじゃない。ほら、もともと営業やってたから接客もできるし。営業の時に喫茶店に通ってたから、お客さんが何を嫌がるかが分かっちゃうわけ。それで友達にいろんなこと言ってたら、いつの間にか自分が中心でやるようになって…」

やがて30歳を前に自分の店を持つことを決めた滝村さんは、まずは広島市中区の十日市エリアで店をスタート。5年ほど続けるうちに、安佐南区の実家の200坪ほどの敷地が使えるようになり、現在の『ヴァンガード』をオープンさせたのだそう。

オムライス誕生は
危機感がきっかけ!?

ライター山根

「2021-1987=34で、現在創業34年ですね。今日いただいたオムライスは最初からメニューにあったんですか?」

滝村さん

「オムライスは20年くらいになるかな? 最初は日替わりのサービスランチがあったね。白いご飯と…俗に言うランチよね、洋食の。それとパスタ。初めは焼きそばみたいな茹で麺使ったやつだったけど、広島でも本格的なパスタが流行り始めたんで、ちゃんとしたのを出すようになって、その二つが柱。それが、アストラムラインができたでしょ。沿線にどんどん新しい店ができて、客の流れが変わっていくのを感じてね。15年目で、それまで落ちなかった売り上げがピタっと落ちたの。このまんまじゃいかん!っていうので…」

アジア大会の開催に合わせ、広島市の新交通システム「アストラムライン」が開通したのは1994年8月。さらに同時期に、広島の人気イタリア料理店が急拡大。同じ安佐南区にパスタ専門店がオープンしたことで、パスタ以外の看板メニューを考える必要に迫られた。

滝村さん

「オムライスって、横着なメニューなんだよね。それが結果的に良かったのかな、今思うとね。オムライスを巻けばいいでしょ。まあ、卵料理だけじゃ寂しいから、1品くらい作ればなんとかなる。それにコーヒー付けてね。日替わりランチって、メインがあってサブがあってサラダがあって、三つも作らなくちゃいけない」

ライター山根

「ネルドリップのコーヒーもすごく美味しかったです。あれは最初からですか?」

滝村さん

「俺がこの世界に入った時は、サイフォンから始まってる。当時はサイフォンがすごく流行ってたの。喫茶店ブームで、専門店もたくさんできてね。俺もメーカーの指導員やっていた時期があって、いろんなところに淹れ方を教えに行ってたんだよね。そうしたら、『先生、先生』って感じになっちゃって。ある店に行くと『先生、ちょっとペーパードリップで…』とか聞かれて、ペーパードリップは知らんぞ!とは言えないからドリップも勉強して。自分の店を始める時に、よそでやってない淹れ方がいいなってUCCの人に相談したら、『滝さん、ちょっとネルっていうのががあるんだけど…』って言われて決めた。ネルでコーヒーを落とすと口当たりがすごく滑らかになるんだよね」

ライター山根

「豆はここで焙煎してるんですよね?毎日ですか?」

滝村さん

「毎日焙煎はコロナだからできんね。ここ1年ちょっと、豆も動かなくて…。うちはランチしながら豆を買って帰ってくれる人も多かったんだけど、ランチ営業ができないと豆を買う人もいなくなっちゃうよね」

店での豆の焙煎を始めたのは開店から5年目。その後自家製パンも始め、全盛期には広島市中区のショッピングセンター「パセーラ」へも出店。シェフを数名雇うなど拡大していたが、現在の店はここだけ。サービススタッフはいるが、シェフは滝村さん一人だ。

滝村さん

「老後は設計図ちゃんとできてたのにねえ! 俺はコーヒーとパンだけで左うちわでのんびり行こうと思ってたんだけど、あっちに喫茶店できてこっちにあれできて…ってことになると、それじゃ食っていけなくなっちゃうよね。やっぱ難しい! 時代は変わったよ」

ライター山根

「いろいろあったんですね…。滝村さんってちなみに今、おいくつでいらっしゃるんですか?」

滝村さん

「71」

ライター山根

「71歳かあ~。この後このお店って、どうされようと思ってるんですか?誰かに継いでもらったりとか」

滝村さん

「俺が死んだらってこと?…コーヒー飲む?

ライター山根

「え???」

滝村さん

「コーヒー飲みたいでしょ」

…で、なんかもう1杯いただく(ありがとうございます!)

滝村さん

「うーん、後継者ねえ。息子がいるにはいるんですよ。喫茶店じゃないけど神戸で水商売やってる。うちの息子は福岡で大学生の頃からホテルのラウンジのバーテンダーをしてたんだけど、それが楽しかったみたいで…俺に似たんかねえ。今はすごいね、ネットで自分で働きたい店を見つけて、そこにいます。あいつが帰ってくれば分からないけど…継ぐって言えば、その時は俺はもう辞めるね、俺がいるとけんかするから。この店をどうするかは、残された人に考えてほしいよね。俺は自分でここやって、ここで死んだらさあ…あとは知らないよね(笑)」

ピアノを売れば大出世、喫茶店を手伝えば大成功。若い頃にはサックスも吹き、講師業も大評判。アイデアマンでもあり、とにかく器用な人だなと感じてそう伝えると、「手相見てもらうと絶対言われる。でも、器用貧乏なんだよね」と滝村さん。喫茶店という仕事を通じて、広島市郊外エリアの盛衰や飲食業の移り変わりを味わって来た。「あとは知らない」という言葉の裏に、残された人に何かを強要しない優しさを感じたのは気のせいだろうか。丁寧に淹れたコーヒー、美しく焼かれたオムライス。それを求めて人がくるのはもちろんだが、滝村さんのクールでありながら温かい佇まいが、『ヴァンガード』の一番の魅力なのかもしれない。

 

この魅力を受け継ぐのは、なかなか大変そうだ

取材・文/山根尚子

撮影/キクイヒロシ

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